哲学堂公園の古建築物

時空岡

時空岡は、哲学堂公園の中心となるところです。時代や国・地域を超えて、西洋、東洋の哲学者を祀る四聖堂、東洋の賢人を祀る六賢台、日本の碩学を祀る三學亭があり、哲学を学ぶ師となる者を紹介しています。
さらに、77場の順序では最後の方に位置しますが、哲学の実践の場となる講義堂である宇宙館、図書館で閲覧室を提供する絶対城、井上円了が世界・国内を30年にわたって巡り得た蒐集品を展示する博物館といえる無尽蔵が配置され、真ん中に立つと哲学堂の主要な古建築物を全て見ることができます。

哲理門【明治42年~45年頃建立】

哲理門は、哲学の世界への正門にあたります。「哲理」とは、人生や世界の本質などに関する奥深い道理を意味して、それらを探究することが哲学であると言っています。哲学では、物質(物)ありきとする世界観(=唯物論)と精神(心)ありきとする世界観(=唯心論)の2つの考え方があり、その考えの中でも普通の道理では説明できない不思議「理外の理」があり、円了はその不思議を知ろうとすることが哲学の始まりであるとしています。門の両脇には、心の世界の不思議を表す「幽霊」と、物の世界の不思議を表す「天狗」をそれぞれ象った木像が置かれ、別名「妖怪門」と言われています。

四聖堂【明治37年4月建立】

木造平屋建・方形・桟瓦葺・一重

四聖堂には、東洋哲学から孔子、釈迦、西洋哲学から古代西洋のソクラテス、近世西洋のカントが選ばれ、井上円了が最も影響を受けた哲学者四聖として祀られ、当初は、‟哲学堂”と呼ばれており、公園名の起源といえます。天井中央には、四聖の名前を記した装飾額が四面にそれぞれ置かれ、哲学の将来的発展を祈念したもので、創設者井上円了の意図を読み取ることができます。
建物は、四方正面の建物で、堂内中央部には、「南無絶対無限尊」と刻んだ石柱、「唱念塔(しょうねんとう)」が置かれ、‟哲学は宇宙の真理を生涯かけて楽しみながら究明してゆくこと”を示しています。天井から下がる「球燈」は、心即ち精神を表し、その下にある「香炉」は、物即ち物欲を示し、物欲から立ち上がる煤で、心が穢されても、修養を積めば清浄な心を失うことはないことを表しています。唱念塔の後ろ側に置かれている釈迦涅槃像(和田嘉平治作)は、円了の子息玄一氏が戦争で亡くなった友人を供養するために作り、現在のつつじ園にあたる場所に、お堂を作り安置する予定でしたが、お堂ができなかったため、ここに昭和15年に置かれました。

六賢台【明治42年11月建立】

木造六角塔・外観2層・内部3層・相輪・一重・二重・桟瓦葺・外部板張

朱塗り、三層六角形のこの建物は、哲学堂公園のシンボル的な建物です。東洋の六賢人として、中国から道教の代表者として荘子、朱子学の創始者である朱子、印度から仏教を体系化した龍樹、バラモン教の数論哲学の開祖である迦比羅仙、日本から仏教の普及に寄与した聖徳太子、中世の学識者として菅原道真が祀られています。
かつては最上階の天井の六面に六賢の肖像を描いた扁額が掛けられ、その中心の各面に六賢の名前が刻まれた小鐘が吊るされていましたが、扁額はいま無尽蔵で展示されています。その他、井上円了が全国や海外で蒐集した品物(石器・陶器)や数百種にのぼる寺社仏閣の守り札などが飾られていました。(現在は、写真が展示されています)
また、屋根の中央には、相輪と九つの法輪があり、最上部に宝珠を付け、屋根の棟瓦の一端には、近接してあった天狗松に因んで、火伏せのための「天狗」の瓦がついています。

無尽蔵【推定明治42年~45年頃建立】

二階建・瓦葺寄棟

無尽蔵は、井上円了が22年間に行った3回の世界旅行と、30年、5,291回、130万人におよぶ人々に行った全国巡講したおりに蒐集した各地の品々を展示している建物で、博物館の機能を担っています。1階は[万象庫]、2階は[向上摟]と名づけられています。
現在は、六賢人の肖像画や、蒐集品の一部が収蔵・展示されていますが、多くは、中野区歴史民俗資料館や東洋大学井上円了記念博物館に所蔵・展示されています。また、一時期、2階には井上円了の書斎が設けられ、研究活動や講演活動を行っていました。

宇宙館【大正2年10月建立】

木造平屋建・方形・桟瓦葺・二重・出隅に切妻ポーチ

円了は、「哲学は、宇宙の真理を研究する学問である」とし、哲学上の講話や講習会を行うための講義室として、この宇宙館を建てました。内部には横斜めに皇国殿という八畳敷の一室を世界の中の日本を表すものとして設け、哲学は社会・国家の原理をも考究する学とし、世界で最も美しい国が日本としています。大正5年(1916年)には、日曜講演や夏季講習会などが開催され、井上円了の社会教育の実践の場所としての活用が始まりました。
また、中央部に、聖徳太子立像(和田嘉平治作)が置かれています。これは、四聖堂の釈迦涅槃像と同様に、子息の玄一氏により昭和15年に設置されたもので、当初は現在のつつじ園に建物を設けて設置する考えでしたが、戦争中のため設けることができずに、皇国殿に置かれることになりました。

絶対城【大正4年10月建立】

木造二階建・寄棟(腰折屋根)越屋根付・桟瓦葺一部鉄板葺・二重・外壁鉄板張・玄関陸屋根平屋・鉄板葺

万巻の書を哲学界の万象とみたて、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達できるという道理を示して、図書館機能を有する建物を絶対城と名づけました。
当初より円了の蔵書を中心とした書籍を公開する図書館として設置されて、1階右側の書棚に国書・漢書を、左側に仏書を収蔵していましたが、現在は、蔵書が他所で保管されているため、図書館本来の目的は果たさず今日に至っています。
2階には観念脚と呼ばれる閲覧室があり、天窓からの光を受ける位置に畳が敷かれ、落ち着いた雰囲気を持つ空間となっています。また、婦人専用の閲覧室も設けられています。屋上には、読書後の休憩場所として観察境(観望台)が置かれ、かつては富士山を望遠することができたようですが、現在は一般公開していません。

三學亭【推定明治42年~45年頃建立】

三學亭は、日本古来の神道、儒教、仏教の中から最も著述の多い三人の碩学を祀った建物で、神道は平田篤胤、儒教は林羅山、仏教は釈凝然を選んでいます。「三學亭」は、三學と三角の発音が似ていることに因み、三角錐の築山の頂上部分に三角錐の屋根を三本の柱で支える構造の小亭として建てられています。天井の三面には、三碩学の肖像を描いた石額が置かれ、その中央から【神・儒・仏】と刻まれた三角錐形の石像物が吊るされていました。現在は、無尽蔵で展示されています。

その他

常識門 髑髏庵・鬼神窟※ 演繹観 四阿
※髑髏庵・鬼神窟は、霊明閣(集会場)として、利用されています。

古建築物公開について

上記の古建築物を、春期・秋期・月例公開しています。
■公開する古建築物:四聖堂・六賢台・無尽蔵・宇宙館・絶対城
※四聖堂は建物保全のためご入場になれません。

春期公開
【4月29日~ 5月5日】
(年によって変更あり)
9:00 ~ 17:00
秋期公開
【10月1日~ 10月31日】
(土日祝日のみ)
9:00 ~ 16:00
月例公開
【毎月第1日曜】
(変更の場合あり)
10:00 ~ 15:00